全逓が行革勝利宣言              (03/04.04)  
 
 
   公社化目前、トヨタ部長招き全国支部長 会議ひらく  
 
 
    公社化を目前に控えた三月一五日、全逓全国支部長会議がパシフィコ横浜で開催された。
  会議の主な目的は「全逓行革闘争の勝利宣言」であった。会議は、郵政事業庁長官、團宏明氏・トヨタ物流企画部、林郁雄氏・元総理懇メンバー、樋口恵子氏の三つの講演からなっていた。
  講演は内容から講演スタイルまで三者三様であった。 團氏は、官僚らしく淡々と事業庁から公社になる過程等を述べた。 トヨタの林氏は、二一回目だと宣言して、「トヨタ看板方式」なる経営手法をパワーポイントを使いながら二時間半ほど、受験塾の講師風に説明をした。 最後は、東京都知事候補になった樋口氏で、総理懇の抵抗勢力だと笑いながら身振り手振りで経験談を披露した。

  トヨタ作業改善は労働強化じゃない?

  特に注目すべきは、越谷局の実態調査と改善対策を進めている林氏の内容である。労働組合の現場指揮官を集めて「ムダ・ムリ・ムラ」をなくする「合理化推進策」を説明した。
  一〇〇人が一〇〇している仕事を一二〇にするのではなく、八〇人で今の一〇〇の仕事をするのがトヨタ方式だと言う。
  一〇〇人で一二〇の仕事をさせるのは労働強化であり、八〇人で一〇〇の仕事をするのは作業改善だと説明したが、前者の場合は一人あたりの仕事は一・二倍であり、後者は一・二五倍である。如何にして現場から労働者を減らすかと言う方法論を、如何にも新たな「トヨタ生産・物流方式」だと誇らしく説明したのだと気付いた支部長さんは何人いたのだろうか。

  アンケートでもとれば面白かったのだが・・・ストップウォッチを片手に持って二四時間の実態調査をされた越谷郵便局の職員は笑い事ではないが。この講演は、全国の郵便局が越谷郵便局と同じく職場改善をするのだという宣言であり、全逓本部は容認したんだということを意味していると感じたのは私だけであったのかもしれないが。

  数字は正しく評価する

  講演の途中に本部提起という事で、行革第四ステージの評価として「全逓が述べた政策を一〇〇%確保し政策立案能力を十分に認められた。その結果として雇用・生活・事業を守ったのである。」 と企画部長から自己自賛の報告があった。だが、組織は現在一三万二百人で組織率五四・六%まで落ち込んだ。
  本部が頑張った成果を組織拡大に努めてもらいたいと訴えた。
  今回の勧奨退職は、五一三八名で、埼玉・千葉地区が消えてしまったような気がすると言った瞬間、会場はしらけムードが広がった。まるで行革で本部が頑張り成果を残したのに、支部長連中は組織を減らしているではないかと言わんばかりであった。

  今回のメインスローガンは全国支部長を集めてのリフレッシュスタート宣言をすることであり、それ専用のポスターを作成し、希望に満ちた郵政労働運動を築こうというものであった。最後に、一二人の支部長が壇上で支部のリフレッシュスタート宣言をして最後の盛り上がりを演出したが、会場は最後まで冷ややかなままであった。
  定年を待たずに五千名強の郵政労働者が職場を去っていった現実を見て、雇用は守られたと職場で言えるだろうか。事業を真ん中にした新たな労働運動に誰が高額の組合費を払って入るだろうか。
  新たな組織をイメージした青い卵と感嘆符のポスターが、組合員の涙と、定年を待てず職場を去る決意をした勧奨退職者のため息に見えてしまう。

  さあ、全員でポスト清掃だ

  今年の全国大会には、@行革エネルギーを新たな組織と運動へ、 A公社経営に対応できる組織作り、 B政策の提言から実現、を骨子にするそうである。その一つが、青年部が行う「クリーンひつじ」 ・ ポスト清掃運動(全国各地のPOSTピッカピカ大作戦 クリーンフェスタ・ひつじ)だそうだ。
  全逓の組織として参加を要請され疲れて横浜を後にし「夜間再配の見直し・二四時間窓口・郵便の減員」が待っている職場に帰った。                  (N)

 
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   看板変えても不滅の郵政一家         (03/04.04)  
 
 
    「変わろう、変えよう」と新公社発足へ向けた掛け声が全国の郵便局で鳴り響き、各都道府県単位で「日本郵政公社スタートアップ」自主研が開催されて職員の意識改革が声高に叫ばれている。
  すでに新公社の組織構成も発表され、「三事業本部制」 「経営委員会」 「専門委員会」 「経営企画部門」 「監査部門」 など新たなセクションの設置、一二支社一事務所の地方組織としてのスタートが決まった。
  組織機構が変わり、ロゴマークも一新、制服もグリーンからブルーへと衣替えし、いよいよ郵政事業「第三の創業」への幕が切って落とされた。
  はたして看板や組織など外見が変わって、一三〇年余営々と築かれてきた郵政事業の中身が本当に改革されるだろうか。

  ほとぼりさめて復権かける全特

  例えば特定局。
  今年五月、福岡シーホーク・リゾートでひらく公社後初の全特総会(全国大会)には生田総裁が招かれ、全国から約五千人の特定郵便局長が参加するという。いまこの総会に向け、全国で特定局長会地区会総会が開か
れている。
  そのダイジェストを『逓信新報』で見ると、 「組織を強化し特定局長制度を堅持しよう」 「地域活動の強化で今こそ特定局の存在感を示そう」 といったスローガンのもとに、会長あいさつでは 「自分たちの身分は自分たちで守る」(秋田)、「われわれの家業としての郵便局を今後とも生々発展させていこう」(山口)といった保守的、公私混同発言がつづく。
  昨年の地区総会では「自粛」していた自民党議員や郵政局幹部も招かれ、檄を飛ばす。(同紙上では、来賓名に国会議員、郵政局長の名前は伏せられている)

  一昨年の高祖事件以来、鳴りをひそめていた全特だが、ほとぼりがさめたとばかりに公社発足を機に、またぞろその権力を誇示する気配である。
  政権党との深いパイプを復活させ、経営の自由をフル活用しながら、特定局コンビニ化戦略、自治体窓口化戦略を始動させるのか。
  五月二四日からの全特福岡総会が注目される。

  郵政弘済会は利権丸投げ

  もうひとつ、変わりそうで変わらないのが郵政ファミリー企業だ。郵政官僚や管理者、労組幹部にまで張りめぐらされたこの天下りシステムは、いくら公社となろうとそう簡単に消滅するはずがないとは誰もが思うところであろう。
  もちろん、新公社発足によりこれらファミリー企業も大編成を迫られているのは事実である。「かんぽの宿」でおなじみの簡保福祉事業団は公社本体に組み込まれるし、「メルパルク」の郵貯振興会は認可法人から財団法人に変わり(移行措置として三年間は現施設の運営を行う)、郵政弘済会も収益事業から撤退することとなった。
  これで長い間郵政事業を食いものにしていた利権構造にメスが入ったと思いきや、現実は「変わらない」のだ。

  かんぽの宿、メルパルクは、いくつかの赤字施設の統廃合は予定されているものの、ケアサービスなど新たな福祉事業への進出を計画中という。また、郵政弘済会も年間三〇〇億円余の売上実績がある郵政関連の収益事業は結局別の新会社に丸投げされるのだ。
  先日、その新会社「メルファム」を見に行った。両国国技館の近くにあるビルの中にその会社はあった。ビルの案内板を見ると、何とその会社のすぐ下の階には「財団法人郵政弘済会/アイレックス産業株式会社」とあるではないか。
このアイレックス産業とは前身を「郵弘産業」(八五年六月設立)といい、名前のとおり郵政弘済会の子会社である。郵政弘済会が今年一月に東京港区新橋から墨田区両国に引っ越してきたのと同時に、このビルに入ったのだ(以前は道をはさんだビルに入居していた)。
  最近では、BGM装置、防犯カメラ装置、棒型日付印など多角的に郵政関係物品を落札している。現社長は、信越郵政局長や近畿監察局長を歴任した小倉久弥氏である。

  一方の株式会社「メルファム」の前身は、「東京ビル管理(株)」(七一年三月設立)といい、こちらは財団法人郵政互助会の子会社だ。
  以前、この会社は「弘信商事」が入っていた神田「互助会ビル」の地階にあったが、同商事が倒産(負債八〇〇億円と言われた)してからは都内を転々とし、最後は新橋にある日逓本社の隣ビルに入居していた。そして、昨年一一月に社名を変更し両国に移転、同時に郵政弘済会から事業譲渡、現物出資、職員の転籍を受けることになった。現社長は、近畿郵政局長、東京郵政局長などを歴任した西井烈氏である。
  その会社法人目的は、「ゆうパック小包の企画及び申し込みの取り次ぎ」「郵便料金、郵便物、簡易保険の業務内容に関する案内の代行、及びこれらの業務に関する苦情申し立ての取り次ぎ、並びに郵便貯金キャッシュカードの紛失・盗難届け出の受理及び使用停止手続きの代行業務」などじつに三一項目にも及んでいる。
  何のことはない、郵政ファミリー企業の利権たらい回しである。
  世間から指弾された「公益法人・郵政弘済会」が苦肉の策としてその利権を子会社に譲渡しただけのことなのである。

  こうして、新公社の下でも郵政一家は生き残り、ますます巧妙に利権システムを増殖させるのであろうか。
                                              (池田実)

 
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   労組の枠こえ
   「郵政の労働条件を守る広島の会」を結成
     (03/04.04)
 
 
 
 

メッセージ

  郵政の労働条件を守る広島の会
  代表 木下 正己


  4月1日にスタートする日本郵政公社は、国民・利用者向けの美辞麗句とは裏腹に関連職場で働く正規雇用、有期雇用の枠を超えたすべての労働者に向けて牙を剥いて襲いかかろうとしています。
  賃金の10%カット・ボーナスの減額・成果主義の導入は、日本の一人の国民としての郵政労働者の生活設計を根底から覆すものとなり、夜間特例休息の廃止・調整勤務の廃止による新夜勤の時間短縮の廃止と回数制限の撤廃は、まさに夜勤労働者の生命を直接的に脅かすものとなります。
  この生命と生活全般に関わる重大な問題をこのまま見過ごすことなど絶対にできない。黙って見過ごしてはいけない。との声が高まる中、所属組合の違い、雇用形態の違いを超えて賛同者が集まり、これから襲い掛かる攻撃に対し手を携えて闘いに立ち上がることを確認しました。
  そして、3月1日に広島で働く労働者で結成した「郵政の労働条件を守る広島の会」の名前で、全国の郵便局・郵政関連職場で働く仲間の皆さんにメッセージを送ります。
  夜間長時間労働で倒れる前に、「乾いた雑巾」として絞られる前に、一人の人間として豊かに生きることのできる職場を、共に働くものが仲間として働くことのできる職場を守るために、知恵と力と少しだけ勇気を持ち寄って新たな峰を目指した運動を私達は展開していきます。
  この運動を共に闘うことを全国の仲間に呼びかけます。

 
 
 
    夜間労働改悪は阻止する

  今、私たちの職場は、人事制度の改悪、基本賃金の低減化、深夜労働の回数制限や時短・特例休息の廃止、翌配体制と夜間配達の見直しなど、これまで作られてきた職場の秩序を根幹から覆すような攻撃にさらされています。私たちは、こうした攻撃を黙って見過ごすわけにはいきません。

  特に、深夜労働の改悪については、私たち深夜労働に従事する郵内労働者にとっては、単に労働条件や市民生活の問題というより、生死に関わる問題と受けとめています。
  翌配・夜間配達の拡大が、夜間労働をこれまで以上に苛酷なものに変えることは疑う余地もありませんし、時短(調整勤務)・特例休息の廃止が私たちの体にどういう影響を与えるか容易に想像がつくでしょう。定年はおろか、今日明日にでも倒れる者が続出するかも知れません。それが自分である可能性は十分高いのです。そして、何らかのハンディを負った弱者をどこの職場が受け入れてくれるのでしょうか。結局は職場の変化や人の変質についていけずに職場を去っていくしかないのではないしょうか。

  私たちはこれらの攻撃に対し、私たちと思いを同じくする労働者とともに「断固阻止する」「いずれ廃止に追い込む」という決意を持って「郵政の労働条件を守る広島の会」を立ち上げました。
  確かに、これらの動向が最大労組“全逓”の本部の判断に大きく左右されることは否めませんし、これを書いている今、全逓がどういう結論を出すのか知る由もありませんが、私たちは、仮に私たちが望んでいない協定が公社と全逓の間で結ばれたとしても、場合によっては「労働協定に違法な部分はないか」ILO勧告や法律を活用しながら追及していく道もあると考えていますし、現場でこれらの施策がもたらす弊害を探りながら運動的に中止に持ち込む方法も模索していきたいと考えています。
  しかし、いずれにしても、これらの攻撃に対抗していくためには、一人でも多くの労働者が立ち上がることが大きな意味を持ちます。

  組織の枠を超えた連帯を

  状況の変化や組織の決定を座って待ち自らの手で闘うことを放棄した者は、いずれ競争社会の中で仲間から見放され、立ち上がることすらできず一人で苦悩することになるでしょう。反対に、自ら立ち上がり闘う者には、労働者の立場に立って闘い続ける限り、同じ思いを持つ者が仲間となって大なり小なり支援してくれます。
  これまでの流れを変えるためには、労働者が所属組織にこだわることなく、同じ思いで連帯しあえる環境が必要です。この環境作りに対し様々な妨害が入ると思いますが、とりあえず、「この攻撃を断固阻止する」という思いで一致した広島の郵便労働者数名が立ち上がりました。私たちの思いが全国に通じ、飛び火して日本中に火の手が上がることを願っています。
  私たちのこの思いを郵便局に働く全ての労働者に伝えることは難しいかも知れませんが、少なくとも、夜間労働の改悪については、正規雇用・有期雇用を問わず深夜労働に従事する大多数の労働者に理解してもらえると思っています。当面はこの問題を軸に運動を広げていくことになるかも知れませんが、それぞれの課題についても十分研究し、一人でも多くの人たちと思いを共有し連帯を広げていきたいと考えています。

  私の職場には、もうすぐ80歳になろうとするおばあさんが、短時間ではありますが有期雇用労働者(非常勤)として10年以上も前からずっと働き続けています。パニック症候群になり、リハビリを兼ね職場に出てみんなと一緒に仕事をしている職員もいます。
  個々の弱点をみんなでカバーし、お互いに助け合って仕事をする職場風土を、私たちの先輩が私たちのために作り上げてくれたのです。私は、この風土を、私たちの後輩に残したいと思っています。そして全国に広めたいと思います。
  この私たちの職場に、仲間が仲間を採点する人事制度は要りません。この人事制度をもってしても変えられない職場を、多くの人と知恵を出し合いながら守っていきたいと思います。

  しかし今のままでは何も得られませんし、何ひとつ守ることはできません。私たちと同じ思いを持つ全国のみなさん、私たちと一緒に立ち上がり、職場に労働者の活気を取り戻しましょう。そして、今後は、職場を無視して打ち出す愚策は常に失敗すると郵政官僚に思い知らせてやりましょう。
                     (広島中央)

 
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  「公社化前におまえを辞めさせてやる!」  
(03/4.24)
 
    栃木県、大沢郵便局(集配特定局)。赴任してきた新しい局長は、粗暴な輩だった。人権意識も倫理も常識も、郵政当局が派遣する管理者には通じない。
  たとえば、ゆうメイトさんの仕事は、出来高制。その日の通数によって配達時間を、「決める」。それを一日がかりで計るのが、局長の仕事?。
  異議を唱える職員に、局長は牙をむけた。
 
 
 
    「公社化前におまえを辞めさせてやる!」
  これがゆうメイトを含む全職員のミーティングの場で局長から投げられた言葉です。
  村越昇さん、41才。栃木県大沢郵便局勤務。2000年4月、穂坂局長が赴任し、昼休みについての勝手な指示に異議を唱えてから、激しい嫌がらせが始まりました。
  同年11月戒告。そして昨年6月、局長からの嫌がらせの最中、郵便物3通が床に落ちたことをもって、減給2ヶ月。

  村越さんは、暗中模索の中から単独で人事院に非公開の審査請求を申し出ました。しかし締め付けは逆にヒートアップし、連日管理者が、区分函ごとの郵便物数を調べる、やりとりを録音する、などにいたり、とうとう村越さんは昨年12月1日から1月20日まで「心因反応」による休業に追い込まれました。

  その後彼は著書を頼りに伝送便編集長の池田実さんにコンタクトを取り、現在まで2度の打ち合わせを経て、人事院の“公開”、さらに審理の場を東京に変えて、審理・代理人選定手続きを済ませています。

  大沢郵便局は総員25名です。当局の全体重をかけたねらい撃ちの毎日を想像してください。彼は辞めずに踏ん張っています。
  集配特定局職員の審査請求は極めてまれです。傍聴応援をお願いいたします。

  人事院公平審日程 5月29日(木)〜30日(金) AM10:00〜

 
ユニオンはこの闘いを全力で支えていきたいと思います。多くの組合員の傍聴をお願いします。
                               (郵政ユニオンFAX情報より)

  *事件の詳細、経過等、詳しい報告は後日掲載する予定です。(多田野 Dave)
 
(詳細 伝送便03/5月号より)
 
退職しろ、提訴取り下げろ
独裁特定局長と闘う村越さん
                                                                 
(03/05.07)
 
 

 
  「局長から毎日のように辞めろと言われるんです」
  電話の向こうから、悲痛な声が私の耳元に響く。拙著を見て電話したというその郵便局員は、耳を疑うような事実を打ち明けた。
  封建的な特定郵便局の職場というのは話には聞いていたが、まさかここまでひどいとは。聞けば、去年局長から身に覚えのない事で減給2カ月の処分を受け、納得できず人事院に提訴、5月末に公平審査が入っているという。どうやらその局長は審理が始まる前に彼を辞めさせるのが狙いらしい。
  所属する全逓の役員にも、郵政局のカウンセリング室にも相談したがらちがあかず、たまたま読んだ私の著書をたよりに出版社に電話を聞いて、かけてきたという。
  「どうしたらいい」という切実な問いに、私はとりあえず会って詳しく話を聞きたいと言うと、彼も栃木から上京すると快い返事。彼、村越昇さん(41)の話はこうだった。

  大沢郵便局は95年に統廃合で新設された職員数25人の集配特定郵便局(私有局舎ではない)で、局長は2、3年で交替していた。
  2000年4月、水戸で営業センター所長をしていたという穂坂利雄が新任の局長として赴任してから、郵便局の雰囲気はがらっと変わった。
  まず、始業前の全員による郵便体操を始め、その後役職者を局長室に集めミーティングを行うようになった。それまでの外務2班を分割し4班制にし、営業成績を競わせるようにした。
  また経費節減と称して、非常勤に出来高払い制(配達完了の実時間でその日の支払いを決める)を実施したのである。

  いやがらせと監視の毎日

  発端は些細な事だった。
  ある日、総合担務のため昼休みにお客さんの保険集金に行かねばならず、 11時半すぎに少し早い昼食をとっ
ていた村越さんを見とがめた穂坂局長は、「何で勤務時間中に食事するんだ」とどなった。村越さんが事情を説明して、前からみんなもこうしていると反論すると、局長はさらに怒る。「天にツバした」 ― この日から村越さんへの集中したいじめが開始されたのだった。
  「おまえなんか配達だけしてればいい」と急に総合担務から外され、他の人の1・5倍の区域の郵便配達を専門に命じられる。 1日バイクで50キロ近い走行距離の配達区、冬期は積雪で思うように進まない。それでも時間をオーバーして帰局すると、「遅い」といって超過勤務をつけないのだ。村越さんが「超勤をつけてください」と言うと、やっと10分、20分単位でつけるだけ。昼休み休憩も他の職員は60分なのに村越さんだけ45分、「それ以上休んだら
賃金カットだ」といやがらせ。年休も「おまえの休みなんか承認しない。連休なんかさせない」と認めないありさま。
  局長が赴任して半年あまりたったある日、局長代理と口論したことを「現認した」穂坂局長は、「暴言」を理由に2000年11月25日付で村越さんに戒告処分を発令してきた。初めて受けた「懲戒処分」に村越さんは何をすることもできなかった。

  2002年4月8日朝、問題の事件は起こる。
  その日、村越さんは郵便物の量が多いので超勤を発令するよう班長に言ったが聞き入れてもらえなかった。それを聞きつけた穂坂局長が、大区分作業をしている村越さんの正面に体を張って怒鳴りちらす。妨害され区分がうまくできない村越さんに対して「手を休めるな、仕事をしろ」と言いまくる局長。区分する手が局長の体に触れると、「ぶつかったぞ、暴行だ、書いとけ」と副局長に叫ぶ。その直後、区分していた郵便物が手から落ちたのを見て、「郵便物を叩きつけた、落とした」と穂坂局長はさらに声を荒げた。「仕事のじゃまです」と村越さんが抗議すると、さらに局長は「暴言だ、処分だ」とがなり立てた。

  パワハラに耐え闘う

  2002年6
月21日、この「事件」に対して減給二カ月の処分が発令された。日ごろから郵便物はていねいに扱うことを心がけていた村越さんにとって、処分理由にあった「郵便物を叩きつけ落とした」などとても認められることではなかった。
  その時、処分説明書に小さく書かれている「この処分についての不服申し立ては、 ・・・規定によりこの説明書を受領した日の翌日から起算して60日以内に、人事院に対してすることができます」という字が目に留まった。
  8月、村越さんは地元今市市での非公開不服審査を人事院に請求したのだった。

  しかし、これを知った局長のいやがらせばさらにヒートアップする。
  「おまえなんか職員じゃない」と毎日のように仕事中村越さんの耳のそばで罵詈雑言を浴びせる。時には朝礼で、ゆうメイトもいる全職員の前で、「村越は退職させてみせる。次は停職に追い込む。停職までいけば自ら辞めていくことになるのが普通だ」と名指しで攻撃する始末。
  局長は、村越さんを日常的に監視するように副局長に指示、課長代理は毎日村越さんの持ち出し郵便物の通数を数え記録する。総務主任も「村越のことは何もきかないでいいから仕事の指示を出せ」という局長の指示に従い無視するのだった。
  孤立無援の村越さんはついに年末年始にかけて「心因反応」による休業に追い込まれることになる。診断書の50日の療養期間が明け、今年の1月下旬に仕事復帰した村越さんに、局長はさらに嵐のような集中攻撃をかけてきた。
  局長室に呼び出し、「来週からおまえの配達状況を代理が同行して見る」と切り出した。「わたしはちゃんと仕事してます」と村越さんが言うと、局長は「最後のチャンスだ、一からやり直せ」と言いながら「人事院なんかやってもおまえは絶対に負けるんだ。提訴を取り下げるんだ」と迫ってきたのだ。「どうせ負けるのだったら、取り下げなくてもいいじゃないですか。やってないものはやってないんです」と村越さんは反論するが、局長は一方的に取り下げを強要するのだった。
  提訴取り下げに応じないと見るや局長は、次の週から今度は「退職するんだ」と直接退職を強要してきたのである。
  以降、毎日のように耳元で「退職」を囁いたり、朝礼で「公社化日前だが、不適格 な人がいる」と分限処分をちらつかせるなど、いじめは極限状能となった。何度辞めようと思ったか、しかし自分は何も悪い事してない、辞めたら局長が喜ぶだけだ、と村越さんは毎朝自分に言い聞かせふんばった。そんな時、私に電話をしてきたのだ。

  話し合う中、彼は公平審査を「公開」、「東京」で行うことを決断し、人事院もこれを了承した。
  集中砲火を耐え抜いて、村越さんは公社発足の日を迎えた。一方、彼を強制退職させようとした穂坂局長は公社誕生を前に自主退職した。これに溜飲を下げる余裕もなく村越さんは、5月29、30日の二日間、証人・穂坂前局長と公平審査の場で対決する。
                                              (池田実)

 
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コスト優先、サービス破壊の大愚策
新郵便処理システムにつづいて大失敗を演じた 「机上施策」
 
(03/05.07)
 
    「失敗は許されない施策」と鳴り物入りで導入された新集配システム試行から早いもので一年が経過した。
  「新生ビジョン」の最大の目玉、集配作業における一大革命と言われたこの施策、人件費削減と営業実績アップとサービス向上という一石三島の画期的な施策のはずだった。
  ところが、現実は三鳥どころか、一兎も得ずして仝国展開のメドは全くたってないのである。
  昨年五月に試行が始まった東京東部の葛飾郵便局の一年後の実態を聞いてみた。

  全逓の組織率が選定基準?

  東京では昨年九局で試行が始まったが、その選定基準は「比較的容易な集配区画が多い局」というものだった。しかし、下町で密集した住宅が居並ぶ葛飾区はどう見ても「容易な集配区画」ではない。同地番に二〇軒以上ある所もざらで、バイクが通るのがやっという狭く入り組んだ通りが多いのだ。
  「全逓の組織率が高くて入れやすい」というのが本当の選定基準だというのがもっぱらのうわさである。全逓としては、「失敗は許されない」と大見えを切った以上、試行段階でつまづいてばならないと全逓の牙城と言われる葛飾局に白羽の矢を立てたのだった。
  だが、さしもの全逓の組織力をもってしても施策は「失敗」してしまったのだ。
  もちろん大本営は「失敗」などと口が裂けても言わない。お客さまからの苦情が殺到しても、ゆうメイトが次々辞めていっても、営業成績がダウンしても、「成功」しているというほかないのである。

  定着しないゆうメイト
  試行して、一番の誤算はゆうメイトのあいつぐ退職であった。
  葛飾局では試行後半年が経った二月には、この施策のため採用したゆうメイト二一名のうち半数近い九名が退職した。時給九二〇円というのは、世間並と言えなくもないが、待遇が並以下、入って一週間で辞めていってしまうゆうメイトもいたという。
  「これしかできないの」とか「むいてないかもしれないね」とか心ない一言を投げ付ける職員がいるうえ、毎日六時
間の目一杯の外務作業は重労働。上司からは細々とした指導・注意が雨のようにふりそそぐ毎日。
  郵政局(現在は支社)みずから、「施策の最大の課題はゆうメイトの安定確保」とこぼすほど、試行局全体でこの「ゆうメイト離れ」は深刻な事能芝なっている。当局が「ゆうメイトセンター」での募集、各局ごとの新聞折り込みチラシなど物量作戦で試行時点での要員確保にこぎつけても、定着率が悪くてはどうしようもないのだ。

  激増した苦情申告

  この結果、必然的に発生するのが誤配・不着である。
  当局は「受箱配達」をチラシの「ポステイング」作業と同様の誰でもすぐできる軽作業とみているのかもしれないが、実際は高度な習熟度が必要となる熟練労働が郵便配達なのである。
  葛飾局でも試行後、誤配の苦情申告が激増した。当局はあまりの多さに、それまで集配事務室に掲出していた「誤配グラフ」を撤去したという。
  本来、郵便配達作業は、大区分−道順組立−配達というひとつの流れで行うものであるが、それを無理やり大区分・道順組立は本務者、配達は非常勤と分断したのでは、基本的に誤配発生率が高くなるのは明らかだ。配達作業というのはただ受箱に入れるというだけでなく、配達員が実際に受取人を確認しながら配達するもので、転居や不明の受取人を確認すれば、その情報を次の大区分・道順組立作業でチェックすることができるのだ。つまり配達−大区分−道順組立−配達という循環した流れで住人の動きをチェックしながらより確実な郵便配達が
可能となる。それを、チラシのようにただポストに入れればいい、という感覚では郵便の父前島密も泣くというものである。

  下がる営業成績

  一方、本務者が「対面配達」に専念することによって「営業チャンスが広がる」と意気込んだその成績はといえば、こちらも上がってないというのが実能だ。葛飾局では試行後、「営業は順調に推移」と外向きには報告しているが、実際は・・・。
  ある朝のミーティングで課長、「一集(第一集配営業課・三つある集配課のうち第一だけが先行して試行)は、新システムを入れて、実績(営業)が上がるはずなんだからもっと頑張ってもらわないと」とカツ。
  実際、二集・三集と比べて営業成績が下がっているのだ。本来なら、本務者は朝、通常郵便物の大区分と道順組立を終えゆうメイトに持たせてから、「高付加価値郵便」という書留・速達等の対面配達に出発、その途上で営業活動を行うはずだった。お客様に対面して手渡しながら「麺グルメはいかかですか」「年賀はがきはいかがですか」とカタログを渡し声かけ営業をするのである。ところが、毎日「一回五〇本以上」もある書留・速達では声かけする余裕もないし、そのうえゆうメイトが終わらない受箱配達分の通常郵便物も配達しなければならない。「営業
チャンスが広がる」どころではないというのだ。
  実際、営業成績が下がったのだが、そこは数字マジック、「自爆」強制で他の課と遜色ない営業成績をあげたと報告するのが精一杯。
  確かに対面配達で「チャンスは広がる」かもしれないが、受箱配達では毎日のように同じ地域を配達しお客様と顔の見える関係ができたが、書留や速達は特定の会社に集中したり、あるいはカード書留のようにたまに来るというものが多いうえ(若者が多く買ってくれない)、広い地域を担当するので営業結果にはなかなか結び付かないのだ。
  本務者の労働条件については、通常配達の割合が減った分、超過勤務は少し減ったが、班員が減ったため夜勤、日・祭出勤の割合が多くなり、総体的には労働条件は確実に悪化しているという。
  そして減員だけは待ったなしで実施される。葛飾局では昨年七名が減員されたが、内訳は四名が他局異動(三名が総務主任発令)、三名が自局異動(退職補充)となった。今回全課への拡大にともない計一二名が減員となる。施策の実施は五月六日だが、減員の実施は六月三〇日である。今回も「周辺局への配置転換等による」要員措置となるが、はたしてどうなるか。

  またしても破綻?の机上施策

  東京では今回の第二弾の新規実施局は六局にとどまった。葛飾ほか四局が全課拡大となり、合わせた減員数は七九名である。毎年このペースで拡大しても東京全局で新集配システムが実施されるのは一〇年以上も先という計算になる。はたして本気で拡大する予定があるのか疑わしい。それでも決めた以上、ペースは遅くとも数だけは稼いでいくのか。いくら人件費が本務者の五分の一だからといって非常勤を入れても、次から次に新しいゆうメイトの措置をしなければならないのでは、はたしてコスト減につながるのか疑問である。
  結局、金食い虫の「非効率化」機械で赤字を大幅に増やす結果となった新郵便処理システムの二の舞いではないか。
  新しい看板をすげ替えたからには、公社幹部は成功例(トヨタ?)のおいしい所だけを夢想するのではなく、失敗から学ぶ「失敗学」からもう一度やり直した方がいいのでは。  (編集部)
 
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「新集配システム」の功罪
  試行導入から1年・・・、 03年度更に拡大へ
 
(03/05.07)
 
    01年11月30日「普通局新集配システムの試行に関する提示」がおこなわれ、02年4月1日から導入された「新集配システム」は、03年度にも拡大実施されようとしている。  
 
 
    試行実施にあたって当時の郵政事業庁郵務部は「外務職員の集配ネットワークは、郵便事業最大の強みであり、顧客ニーズへの柔軟な対応と業務の効率化という要請に応えていくため、このネットワークを最大限有効かつ効率的に活用できるよう、高度化を進めていくことが必要である。このため、現在の集配システムを〈対面配達〉と〈受箱配達〉に分け、高付加価値郵便物の配達や営業チャンスが広がる対面配達には原則として本務者を、受箱配達については一定の条件下で転力化をおこなう試行を実施する」趣旨を述べている。

  試行規模の実態

  さて、試行実施後一年が経過し、その実態は『趣旨』どうり運営されているのであろうか。ちなみに、02年度試行実施局は―   第一段階(4〜5月)、第二段階(10月)に分けて北海道9局(減員73*時間制定数97.5)、東北14局(94*148)、関東26局(130*239.5)、東京9局(58*131.5)、信越12局(60*123)、北陸局3局(12*20.5)、東海12局(88*135)、近畿18局(180*370)、中国7局(48*84)、四国4局(29*46.5)、九州12局(88*163.5)、沖縄2局(12*19) ― 合計で128局 (減員数872人*時間制定数8H換算1578.5) で試行が始り、03年度は、ほぼ同様の規模で拡大実施される。
  実施局は129局だが、02年度第一集配を試行し03年度には第二集配等に拡大実施する局が31局、新規実施局が98局。減員数もほぼ同数の884名に上る。 この施策は言うまでも無く「郵便新制ビジョン」の柱の一つとして急遽追加されたもので、一応五ヵ年計画とされている。

  サービスの低下

  さて、試行実施後の実態である。 先ず、公共事業としての郵便配達サービスの低下を指摘せざるを得ない。誤配・遅配・誤転送等の基本的サービスの低下である。
  新たにゆうメイト非常勤職員を多数雇用し十分な訓練の無いまま配達に投入する。労働条件が劣悪で雇用も不安定、従って早期に職場を去る非常勤も多い。又、通区、通区の連続では“熟練”=地域の習熟度を高めることは不可能に近い。誤配が多発する。
  速達郵便は“付加価値の高い”郵便物として「本務者」が配達する。本務者は一定程度個別組立てをおこなってからの出発となり遅配となる。通常配達をおこなわない本務者、習熟度が浅いゆうメイトがそれぞれ事故郵便の処理をおこなう。事故処理のミスが重なる。

  不安定雇用

  第二に、雇用の不安定である。 すでに触れたとおり日々雇用の不安定雇用と劣悪な労働条件・生活が出来ない低賃金、これでは就職予備軍であり新たな職場が見つかればやめていく。この一年間を見てもある局の定着率は四割にも満たない。欠員が生じてもすぐに補充できるものではない。その間、減員された職員に負担が覆い被さる。
  採用時の問題もある。厳しい労働条件を押し付け、高齢者を敬遠したり、通区中に「使い物にならない」などひどい仕打ちで止めるゆうメイトさんもいる。

  モラルの荒廃

  第三に職場の荒廃と労働モラルの低下である。
  試行実施局の条件は新局舎などでスペースが充分確保でき新住居表示など配達が比較的容易な地域等と言われているが実際はどうか。
  減員に対して三〜四倍のゆうメイトが配置される(労働時間六H、四H、休暇要員も採用する)。ロッカールームが確保できない。休憩休息室があふれる。喫煙場所には大勢がたむろする。駐車スペースが満杯になる。要するに、雇用人数を想定して局舎が出来ていない矛盾が噴出する。
  雇用構造が複雑になりその軋轢も出てくる。九:三〇ゆうメイトが出勤して朝のミーティングが始る。職員が周知する。管理者の代行である。以前から指摘されてきた「本務者」と「ゆうメイト」の関係が「管理」「被管理」の関係となって現れる。
  休憩室・食堂などの使い方にも軋轢が生じ、勤務時間管理においても問題が多発する。関係は複雑化する。
  「受箱配達」を担当するゆうメイトが、地域に精通し始める。新規ないし配置転換の職員がゆうメイトに「通区」してもらうことになる。まして新任の班長・副班長は地域を知らないままに班を統括せざるを得ない。賃金と労働のアンバランスが感情として噴出することも稀ではない。ゆうメイト同士の会話を聞いていると暗然とすることがある。
  こうして、職場が荒廃し、労働モラルが低下する。
  最近、郵便物隠匿問題で全職員のロッカーなどの点検が“強行”された。労働強化と職場の雇用条件が重なり、職場の荒廃・労働モラルの低下を招く。その原因を作っておいての『労働者不信・人権プライバシーの侵害・管理強化』である。「新集配システム」もその一翼を担っている。

  画一的な営利主義

  第四に、「営業チャンス」の『創出』である。
  確かに、ゆうメイトが活躍してくれれば本務者に時間的ゆとりは生ずる。(但し、小包を外注している場合であるが。)超勤は減り、休暇も取り易くはなる。ただし、午前中は蜂の巣をつついたような忙しさではあるが(大量のゆうメイトさん達で賑わう年賀繁忙を想像してもらえれば良い)。
  その『ゆとり』は、営業を始めとする諸施策に当てられる。
 「営業日報」「商談個所及び商談の成否」の提出が求められる。訪問件数、営業時間、商品名、商談内容などを記入する。保険・貯金の募集と同じ状況が生まれ出している。
  もちろん、課・班・個人目標が高く設定され、実績グラフが大々的に張り出されている。
  ミーティングで繰り返し繰り返し周知される、「本年は収益のV字回復が公社の命題となっています。しかしながら成績は混迷を続けています。このままでは中期経営目標の達成はおろか、年度目標の達成も危ういという危機的な状況にあります。民間の血の滲むような営業活動を見るとき、我が社の営業姿勢の弱さ、取組みの甘さを痛感することは言うまでもありません。そこで、営業活動の活性化の一方策として、毎週火曜日を『営業専担の日』として各班最低一名を営業専従とします」等の類によって、職員は渋々なりに営業活動にのめり込み、『自爆』が拡大する。「新たな人事制度」がそれに追い討ちをかける。

  施策が危機を招く

  こうして何よりも「新集配システム」の問題点は、郵便事業の根幹を揺るがす地域公共サービスとしての使命を断たれるかもしれないと言う事だ。
  郵便事業の末端神経とも言える「窓口」と「配達業務」を、『効率化』の名のもとに不安定雇用労働力に置き換え、職員を「利用者」を〈顧客=商品を売る相手〉と定義する営利主義の営業活動に投入する。
  これでは、「日本郵政公社」に未来は無い。
  地域利用者に受け入れられての『公社』であり、公共サービスを提供するためにも職員に人権と雇用安定、ゆとりの保証が不可欠である。

  施策の即時中止を

  すでに、「新集配システム」の功罪に公社の経営陣が気がつき始めていることを期待する。
  官僚組織は、一旦実施し始めた施策を止めない。誰も責任をとらない。この体質の変革こそ不可欠なのだ。
  まだ間に合う。結局破綻した『総合担務』の見直しの先例もある。直ちに、今度は破滅的に破綻する前に「新集配システム」を中止することを広く訴える。私たちもさらに強靱に運動を展開していこう。  (棣棠 浄)

 
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失われた27年を奪い返す
藤沢局稲田さん失職裁判始まる
 
(03/05.07)
 
 

  一昨年(2001年)、28年も前の「ベトナム反戦デモ」参加時の公務執行妨害罪(懲役4ヶ月執行猶予2年=微罪)を理由にクビを言い渡された郵便局員。それは新聞等でも大きく報道され、伝送便誌上でも緊急支援の呼びかけがなされた作られた28年の空白 参照)。闘いはようやく第一回公判を迎えられるところまできた。道のりは厳しいが、こんなことは決して許されるものではない。非常識きわまる郵政官僚の体質をさらに白日の下にさらしていこう。

 
 
 
 

  「きびしいたたかいになると思うが、自分にムチ打ってがんばりたい」。
  第一回裁判終了後、新緑香る横浜地裁前で行われた報告集会で原告の稲田明朗さんは決意表明をこう結んだ。本当なら郵便局勤続30年を迎えるはずだった今月。2年半前の突然の失職通知により彼の人生は大きく変えられてしまったのだ。
  一片の紙きれで、27年間積み重ねて来た一人の労働者の生活を奪った郵政省に、人としての心はみじんも感じられない。27年日の失職、郵政省の非人間的な行為を糾す稲田さんの人生をかけたたたかいが始まった。

  4月24日午前10時、横浜地裁502法廷で藤沢郵便局稲田さんの失職取り消しを求める第一回裁判が始まった。福岡右武裁判長は静かに裁判開始を告げ、原告、被告双方が提出した書面の陳述を確認する。原告代理人が冒頭意見陳述を求め、裁判長はこれを認める。
  稲田原告が中央の証人席にすすみ、正面の裁判長に向かって意見陳述を始めた。緊張しているのか、すこしぎこちない。

  「藤沢郵便局に勤めて27年経って失職を言い渡された。直後に今まで払ってきた年金の一括返還を言われたうえ、健康保険の保険証もその後一カ月問あまり当局によって放置され通院もままならなかった」 と失職処分当時を振りかえり当局の非常な仕打ちを告発した。
  つづいて失職の理由となった72年9月の「M48戦車輸送阻止闘争」について、当時ベトナム戦争に反対する「ただの市民が戦車を止めた事件」として歴史に残るものであり、このデモに参加し公務執行妨害で逮捕、起訴されたが、73年12月7日の判決は「懲戒4ヶ月執行猶予2年」という軽微なものだった。
  翌日、この判決内容が実名で読売新聞に報道され、上司から「新聞見たぞ」と指摘される。本来なら当局はそ
の時点で「処分」すべきだったのに、27年も経ったある日突然、さかのぼって失職を告げた。
  稲田さんは、こうした経緯を踏まえ裁判所として公正な判断を下すよう最後に訴え意見陳述を終えた。

  続いて、原告代理人の辻恵弁護士が、本裁判の意義について「基本的人権にかかわる重大な問題であり、原告の27年間の積み重ねの事実を認識し、裁判所として憲法の法律論議にとどまらず、現在、そして未来の国民にかかわる観点での公正な判断をお願いしたい」と述べる。
  次に岡部玲子弁護士から裁判の進行について、「この裁判の中心的問題といえる、被告がいつ事件を知ったのか、という点について被告側は現時点においても認否を保留し調査中としている。これではこちらも反論のしようがない。次回は被告の準備書面提出をみて反論したい」と意見を述べた。
  裁判長が、被告代理人に意見をきくと「その点については、まだ調査中なので少し時間をいただいて書面を出したい」とぼそぼそ。
  裁判長は次回期日7月3日午前10時を告げ、第一回裁判は終了した。

  生まれた年に事件が

  裁判終了後、横浜地裁前の敷地内で報告会をひらいた。三人の弁護士がそれぞれ裁判についてコメント。
  「わが神奈川県民としてはこの事件の発端となったM48戦車闘争というのは県民として今も誇りに思う事件です」と岡部弁護士。
  つづいて辻弁護士は「27年の積み重ねというのが裁判のポイント。急いで結論にもっていくより、じっくりやりたい」と述べる。
  最後に三浦亜砂子弁護士が「稲田さんが郵便局に採用され判決を受けた73年に私は生まれた。私の生きていた時間を稲田さんは働いて急に失職させられたという事実に動かされ裁判を引き受けた。がんばりたい」と語った。
  稲田原告は、冒頭陳述を無事終えすっきりした表情で、「27年前にここ横浜地裁で(M48戦車裁判で)しゃべった時はもうちょっとしっかりできたように思うが、今日は少しおどおどしてしまいました。きびしいたたかいになると思うが自分にムチ打ってばんがりますのでよろしくお願いします」 と決意表明。支援者の輪からあたたかい拍手がわいた。

  失職処分から2年半、準備にじゅうぷん時間をかけた裁判にのぞんだ稲田さんの、27年という歳月の重みと郵政省の非人間性を問う反撃が開始された。

 *資料 訴状(要旨)

 
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