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郵政事業基盤は徐々に崩壊中     (08.12)
地域から見放されつつある郵政事業─新上五島町から

長崎県五島列島新上五島町奈良尾郷ではサルサが流行っていた。
  「あれ、言わなかったっけ?私二年間ボリビアに居たのよ、JICAで」
  新上五島町議会が郵便局の集配再編に反対しているとの報を聞きつけて、ほとんど押しかけ取材をしたのが3年前。そのときに快く対応して頂いたのが、自然食品やフェアトレード雑貨などを販売する「自遊館」という小さなお店を経営する歌野礼(あや)さん。今回また久しぶりに取材のお願いを打診してみた。
  「私、今年町議になりまして・・・」
  それはおめでとうございますということで、早速また押しかけ取材をお願いした。

JICA(国際協力機構)青年海外協力隊で高度3000メートルを超える高地で植物博物館の整備を行っていたとのこと。5年前に島に帰ってきて一年目ぐらいに最初の私の取材だったらしい。ボリビアで知り合ったキューバの青年がサルサに詳しかったとのこと。
  そうか、紹介された奈良尾の食堂兼居酒屋で流れていたラテンナンバーの数々はここらあたりの局地的な流行か。(ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ・バンドのナンバーも流れていたっけ・・・)

町議に、わざわざ事前に算段をして頂いた。奈良尾の港の近くにある「桃源」という食堂を紹介して頂く。そこのご主人が元郵便屋さんだったとのこと。
新上五島町奈良尾港  宮崎邦弘さんという方で、「元気ださん会奈良尾」という名刺を頂いたのだが、その裏には地区体育協会長など「長」の付く肩書きがずらりと並ぶ。歌野さんの町議会選挙の際には後援会長も兼ねていらしたらしい。
  「宮崎さんを連れて地方を回るとね、ファンが多いのよ。あら邦さんお久しぶり、ですって」

  保険屋さんが長かったという。事業形態がめまぐるしく変わりだした、事業庁から公社へと変わる頃に58歳で早期退職。「こんな店を持つのが夢でね」
  厨房も広くテーブルも座敷席もある立派なお店を今は奥さんと二人で切り盛りしているという。ラテン系をBGMに餃子とラーメンが看板メニュー。
  お店には現役の若い郵便屋さん西川君と、歌野さんのお店を手伝っている中山さんにも同席頂いた。中山さんには本当に申し訳なかったが、酔っぱらった私たちを車で送り届けるという大役の為に麦茶とウーロン茶で長時間お付き合い願ってしまった。
  若い郵便屋さんの西川君、伝送便の存在をご存じなかった。西川君は歌野さんのお店のお客さんでもある。そのツテで今回ご紹介頂いた。

 郵政事業基盤の危うさ

その西川君、一年前までは長崎で期間雇用社員をしていた。50ccのバイクであの長崎の坂道を配達していた。
  「離島で社員を募集しているというので」特に抵抗もなくこの新上五島の奈良尾郷に。職場は集配センター。社員2人に期間雇用社員6人とのこと。
  「たまに組合の集会でね、奈良尾以外の方はけっこういろいろ問題点を発言されるんですけど、私の所は、あまり問題ないんですよ」
  バイクもすべて90cc。一日60キロは走るという。確かに陸の孤島のような地域への配達は楽ではないが、「仕事ですから」。島に来て一年、小さな部屋を借りての独身暮らしだが、特に不都合もなく、「いいところですよ、ここは」。
左から、歌野さん、西川君、中山さん
  ただ、歌野さんによると、郵便局によっては地域の評判を下げているところもあるという。そこが3年前、前回もレポートした集配局再編によって窓口だけの局となった有川局。有川局に限らない。
  「前は局長が自家用車でゆうパックの集荷に来てくれてたのね。それが民営化と同時にできなくなったって。それと、クール便はまるでだめね。郵便局はチルドか。今クールはすべてヤマトさん。保冷車者がまわっているからね、すぐ来てくれるのよ。これはね、島では致命的よ、郵便局でこれを受け付けられないのは。」

  集荷サービスもできなくなり、チルド小包も扱えない。貯・保の取り扱いも窓口のみ。おそらく地域からすればなぜ急にサービスが悪くなったのか理解できないということだろう。局会社と郵便事業会社の違いもほとんどの方がご存じないだろうと歌野さん。有川局の職員も忸怩たる思いがあるのではないか。

  K君にJPEXについて尋ねてみた。「私の所は何も変わらないみたいですよ」。
  新上五島にはペリカン便の下請け会社が一社あるのみ。現ゆうパックはそのままJPEXから委託されるのだろう。
  「組合の会議では情報が何もないという苦情が多く出ました。それと、合併するのになんで人員を増やさないんだという意見も。」
  島の中ではペリカン便自体の取り扱い個数が少ないという。クロネコヤマトが、ともすれば郵便車以上に島中を走り回っているとのこと。
  「現場の裁量権が郵便局にはないんじゃない?ヤマトは船の時間ギリギリまで受け付けてくれるのよ、現場のドライバーが。電話を入れると出港20分前でも来てくれることがある。これは現場のドライバーの判断でしょう。」
  西川君がこれを受ける。
  「そうだね、ギリギリの時間に集荷に向かおうとしても、そんなことをやっていては仕事にならないという雰囲気ですね。」
  このヤマトとの競争を考えると、JPEXの事業展望は危うい。
  西川君の話によると組合の会議は定期的に開かれ、そこでは活発に意見交換も行われているみたいだ。民営化後に社員になって一年ほどと言うから、職場の矛盾もこれから徐々に感じていくところなのだろう。

 地域と共に、地域に密着して

お店は貸し切りになってしまい、出前の電話も途切れた頃になって宮崎さんもようやく腰を据えてお話しに加わってもらう。
宮崎邦弘さん  「私が入局した頃は鞄一つ持って歩いて回っていたんですよ。峠を越えて海辺の小さな集落に向かい、また峠を越えて次の集落へ」「渡回船というのがあって、それに乗って次の集落へ向かっていました。その船の時間に間に合うよう走りに走って配達を済ますわけです。渡回船の時間に間に合わないと、また山一つ超えなければならなくてね」

  一つの集落での配達が終わり、渡回船の船着き場がある次の集落に急いで向かう峠の上で、その船が今出て行くところを見たときの悲しさは今でも忘れられないという。
  「苦労して山を越えて配達に行くだろう。そこで『ありがとうね』という、その一声で報われるんだよ。その一声を聞くために汗をかいていたようなものさ。」
  その当時の写真を見せて頂いた。若い。切れ長の目が鋭くて精悍な立ち姿は港町特有の若者のそれか。これはずいぶんと女性のファンが多かったのではと。「みなとみなとに馴染みがいる頃でね」と、ちょっぴり艶っぽい話も聞かせて頂く。なるほど、歌野さんの選挙で町々を回った際の「邦さん」というお声掛かりの多さに改めて納得。

奈良尾郷での大規模な巻き網漁業が最盛期の頃はその規模西日本一と言われていたという。道路も整備され、渡回船を使わずともバイクで回れるようになる。
  桐教会という町の南端に近い海岸沿いに立つ教会がある。そこに行くには海岸沿いのガードレールもない道をバイクで走る。
  「潮が満ちてくるとね、道路を波が洗うんだよ。バイクのタイヤ半分ぐらいまで潮に浸かったりしてね。」
  西川君が相づちを打つ。
  「そうそう、あそこ今でも時々海に落ちますよね。」

  檜原村では郵便屋さんは崖下に落ちていたが、ここでは海に突っ込むらしい。ただ、どうやって引き上げるのだろう・・・。

月夜間ごとに賑わう港町

「月夜間(つきよま)」とは満月をはさんで中一週間ほどの日にちのこと。その時期は漁を休んで男達が港に戻ってくる。そしてその時期に運動会や地域の祭りなどのスケジュールが組まれていた。
  下の写真は宮崎さんのところで見せて頂いた1950年(昭和2芝居小屋5年)頃の奈良尾のある芝居小屋の様子。二階の桟敷席では身を乗り出すようにして、びっしりと町の人が詰めかけている様子が分かるだろうか。人いきれが聞こえてきそうな賑わいだ。

話は尽きない。ボイスレコーダーには6時間に及ぶ四方山話が詰まっている。伝送便24ページまるまる割いても書ききれない。
  書いておかなければならないことは、巻き網業業に沸いた奈良尾の港も、南氷洋まで遠征していたかつての捕鯨基地有川港の賑わいも今は昔。
  歌野さんはいう。「今、この現状で、町の生き残りを考えていきたいの。」
  かつての栄光にとらわれることなく、今ある限られた条件を基に共に暮らしていける町のあり方を探っていきたい。

  私の思いは、その中に地域の郵便局が陰のように寄り添って町の生活をささやかながらも支えていければ。
  民営郵政事業にそのような方針が出てくることはない。方針転換が間に合うか。
  人口約2万4千人、町議会議員20人中最若手の歌野議員にも、是非ご助力願えれば。

(多田野 Dave)