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Headline 2011

南三陸町の震災ボランティアに参加しました    (05.30)

南三陸町被災地被災地、南三陸町での炊き出しボランティアに参加された方から詳しい報告が入りました。伝送便編集委の方です。その伝送便全国編集会議のため本隊からは1日遅れで現地入りし、帰りも27日の国会ピースへの参加準備もあり1日早く撤収された方です。今回の長期にわたる活動の様子が詳しく報告されています。新しい写真なども交えてご紹介します。
みなさん、本当にご苦労さまでしたm(._.)m。

5月22日
  東京での会議を終えて新幹線で仙台に向かう。南三陸町被災地東北新幹線は全線開通しているが、徐行運転のため本数を減らし、特別ダイヤで運行中のため2時間強で到着。仙台駅周辺はすでにほとんど復旧が終わっており、いつもと変わらない様子だ。
  食事に居酒屋に出かけ震災当時の話を聞くと、揺れのすごさに驚いたそうだ。建物自体の崩壊は少なかったが、建物の中はめちゃくちゃで大変だったそうだ。従業員の一人は石巻出身で、高校の同級生が行方不明になったままで、学校の体育館に不明者の写真が張り出されているとのこと。

5月23日
  現地からの電話で食器が不足していると言う連絡を受け、仙台市内で探し回る。2000個と言う数には結局対応出来ず、千数百個を調達しレンタカーで南三陸町へ向かう。
  仙台駅周辺から海側に向かうと津波による無残な姿が目の前に広がる。
南三陸町被災地  瓦礫はほとんど片付けられていたが、営業が出来なくなった店舗や工場などが広がる。
  三陸海岸沿いを除けばほとんどの国道は通行可能と言う情報を得て、三陸自動車道を北に向かう。「復興支援」の看板をつけたトラックや自衛隊車両など車は多い。おまけにでこぼこで修復のあとがあちらこちらにある。
  三陸道を降り、国道に入るが地震の影響はほとんど見られない。ところが、南三陸町に入り、しばらく行くと無残な光景が広がっている。
  何もない。あるのはがれきだけ。

約2時間で私達の活動する予定の志津川高校避難所に到着。バスで行った本隊は活動をすでに始めていた。
炊き出し支援  今回の派遣は全統一労働組合が中心となって「名無しの震災救援団」を組織しており、私の所属する郵政ユニオンからは今回2回目の派遣団を送り、救援団トータルとしては第十次の派遣団になる。
  神戸の支援団が週末から入り、入れ替わりに「郵政ユニオン・名谷(みょうだに)ボランティア」として一週間の活動を行うことにしている。名谷は阪神大震災を契機に組織され、名谷には被災者も多数暮らしているという。

3時過ぎからは夕食の炊き出し準備、大阪などから搬入した食材でちらし寿司と冷やしうどんを、300人と聞いていたが、かなり減っているようだ。まだ避難所の様子はよく分からないが、いずれにしても大変だろう。

5月24日
自衛隊  早朝5時から活動開始。自衛隊が朝はご飯と汁物を支援物資から提供する。納豆や朝漬けなどの副菜をつけて炊き出し。炊き出しよりも早くから出かける人も多く、地元では仕事もなく、遠くまで出でかけているようだ。
  ここに派遣されている自衛隊は沖縄県那覇市に駐屯する第15師団が「チムグクル生活支援隊」として活動。この日は部隊交代。約4週間の活動を終えた部隊は熊本などの出身者もいたが、すべて沖縄出身の部隊に変わった。瓦礫の中から「思い出の品」などを探し集める作業をボランティアの人々と行っている。

朝食後は「フリーマーケット」の準備にはいる。個人などから送られた服や生活用品などを並べ、被災者に配布する。
フリーマーケット  どうしてもニーズと提供物資にギャップがあり、下着類が大量に求められたが要望にこたえられない。
  一方で夕食の準備。大阪名物「串カツ」をおかずとして提供するため、大量の食材の串刺し作業が続く。
  朝の残り物などで昼食を済ませ、一部のメンバーは入浴に出かける。入浴には往復3時間半ほど離れた施設に行かなければならない。志津川高校の避難所は小さな風呂があるので自衛隊がお湯を提供し、避難者は何とかなっているようだ。その他の避難所は入浴も出来ずに、近隣のホテルなどが自社の送迎バスなどで入浴支援をしているようである。

揚げ物の炊き出し午後3時ごろからは再び夕食炊き出し準備に入る。揚げ物ということで大変だ。野菜の煮物などもつけ5時から夕食の炊き出しが始まる。震災以来初めて揚げ物を食べるということで子どもからお年寄りまで大盛況。200食余り用意していたが次々をなくなり、揚げが間に合わない状況続き、6時半までの炊き出し予定が大幅に遅くなる状況になる。

8時過ぎからは同じく「名無しの震災援護団」に神戸から参加していた人々と地元のスタッフを交え交流会。避難所運営の苦労などを聞くことが出来た。

6月25日
  朝はまだまだ大変冷え込む。7~8度ぐらいで、テント生活を続ける私たちには堪える。
  5時には集合して朝食準備。生野菜、ウインナーのボイルと浅漬けなどを提供。
  それにしても自衛隊が持ってくるご飯はまずい。米は全国の自治体などが備蓄している災害用のもののようである。言い方は悪いが送った自治体にとっては在庫の入れ替えとも言える。
  食べるものもない状況から始まった被災者にとって、文句は言えないが二ヶ月以上の避難生活のうえ、隣の登米市は米どころでおいしい米が取れるようで、不満もたまるのではないだろうか。

防災対策庁舎昼間は入浴を兼ねて視察に出かける。市内は海面から5メートルほどのところに建つ5階建ての共同住宅の4階部分までめちゃくちゃに壊れており、ショッピングセンターなど大きな鉄筋コンクリートの建物は形こそ残っているが、復興への道は程遠い感じだ。
  中心部に建つ、最後まで避難放送を続けたという、「防災対策庁舎」が骨組みだけ残して建っているのが印象的だ。

志津川高校に残った私は救援食料をもらい昼食を済ませる。ここでは私たちが炊き出しをしているので残っているが、絶対数は少ないようだ。しかも、頂いたのは、ローソンのおにぎりと山崎のパン。唖然としたのはすべてが賞味期限切れ。どういう経過でこのようなことが起こっているのはなぜか、役場に聞きに行くことにした。神戸でもこんなことはなかったと名谷ボランティアの大澤副代表は言っていた。

夕食の準備夕食には揚げギョーザとかき揚げ、蒸したシューマイに煮物というメニュー。揚げ物が続くがと危惧したが、昨日にもまして大盛況。予定していたギョウザやシューマイはすべて完食。避難されている方々が喜んでくれる姿がうれしい。

5月26日
  さんまの一夜干を早朝から焼き、朝食を準備。シーフードの卵しめに浅漬けなどと今日も豪華だ。
  朝食後は支援物資の整理などのボランティアに参加するが、私は今回一緒に行った板前さんと共に一足先に岐路に着く。後ろ髪を惹かれる思いだが残りのスタッフに任す。板前さんは残りの料理について伝達。今日は炊き込みご飯に肉じゃが、翌日はハンバーグなど。
お好み焼き  朝夕の食事炊き出しが主な活動になったが、昼間の時間帯には大阪名物「たこ焼き」、広島の「お好み焼き」なども提供してきた。

今回の震災救援に際し、全統一労働組合の協力に加え、多くの企業や人々の協力を忘れられない。
  格安でレンタカーのマイクロバスを提供した「トヨタレンタリース」、大阪の新世界商店街から串揚げの食材を格安で提供をしていただき、何よりも広島県呉市に本社を置く「マイクック」は大量の食材を無償提供し、板前さんまで派遣していただき本当に感謝したい。

今回の炊き出しは28日に撤収し、次のグループに引き継ぐ。郵政ユニオンは6月に第3次派遣団を現在準備している。

(報告 新田秀樹)

志津川郵便局跡