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非正規の中の壁を壊して    (03.12)
スキル評価後の職場にて

ゆうメイトの敵はゆうメイトか?

休憩室で7~8人のゆうメイトでしゃべっていて、盛り上がるのは大抵、そこにいない同じゆうメイトの不満話だ。
「ここで言ってないで本人に言えよ~」と水をさすと、言ったって聞かないとか、逆に文句を言われるだけだとか、不服そうだ。

わたしたちの目は、互いに対する不満に向けられ、不信をつのらせ、遠ざけ合い、嫌ったり憎んだりする。そして、あいつはあんなにサボっているのに、なんで同じスキル・賃金なんだ?となる。真面目にやってるのがバカらしい、やってられない、と仕事のモチベーションが下がり続ける。
  そうなりながら働くのは、何より本人がつらい。すさんだ雰囲気は周りもつらい。そしてそうしている問は、わたしたちの目は会社には向かない。こういう土壌をつくりだしている大元へ怒りは向かない。

わたしたちはいろんな壁を壊していく必要があると思うが、その一つが同僚同士につくられた壁だと思う。
例えば、次のような会話がある。

休憩室にて
 「あいつシュートで突っ立ってるだけでよー。重いもんが来ても持ちゃしねえし」「ランプ鳴っても気づかない振りしてしゃべってさ~」
 「それで言ったの?もっと持ってよとか」
 「言ったって無駄だよ、あんなヤツ」
 「あたしは言うよ。重いのも持って、とか言うとあいつやるよ」
 「やらないよ。俺、無視された。ちょっと言うとさ、あいつ課長代理にチクるからさ~」「あったよね~男の人に怒られたら、セクハラされたとか言いに行ってんの」
 「たしかにあったよね、そんなこと。けど今じゃ代理たちも分かってきたから、あいつがサボってるって。あいつの言うこと通んないでしょ」
 「けど注意したってその場かぎりで、また次のときは戻ってるんだよ」
 「そしたらまた言うんだよ。めんどいけど。言わなきゃあいつのやりたいようにさせるだけじゃん。それは絶対嫌だからね、あたしは言うんだよ」
 「もうあいつと関わりたくありません。見たくもない」
 「気持ちはわかるけどね。けどこういうとこじゃ、ああいうやつが出てきて当然なんだよ。ある意味お利口だよあいつは。会社が管理できないの分かってやってるんだから。だったらね、あたしたちが、言ってやらすしかないんだよ。ああいうやつ放っておいて許しちゃだめでしょやっぱり。もつと怒っていいんだよ。本人に、直接。・・・あたしは最初一回すごい怒って、けどそれからはいっぱい教えてもいるし、手伝うし、言いたいことも言ってる。みんながそうしたら、あいつもサボれないよ」
 「でもねえ・・・」「無駄無駄」・・・。

内務で、広いフロアに数十人も働いている職場で、あからさまにサボる、同僚ゆうメイトに負担をかけて平気でいるという人が稀にいる。あるいはそこまでではなくても、仕事が遅かったり、要領がどうしても悪かったりする人がいる。こう書いているわたしもそうかもしれない。
  そういう人間同士どう向き合うか。

〈壁〉を壊す

わたしたちは、もつとあけっぴろげに怒ったり、言いたいことを言っていい。
  労働者の中にも嫌なやつや酷いやつはたくさんいる。労働者だからって初めっから仲間ではない。放っておけばそのままだ。こっちの怒りをぶつけて相手がそれを受けとめたら初めて、それが変わり始める。あっちの怒りをぶつけられて、こっちがそれをちゃんと受けとめて、何を投げ返してやるのか。そういうやりとりを、一度だけではなく何度もやって、仲間になっていくのではないか?相手を仲間にしていくのではないか?

書くようには簡単にいかないだろうけど。実際は、ものの言い方ひとつから感情的になって決裂したり、相手の話を聞くにも忍耐が必要だったり。なんでそこまでしなきゃならないんだと、投げ出したくなる。
  けどそれは、わたしたちの間の壁を無くしていくことの一歩一歩だと思うのだ。今のままでは、お互いの壁の向こう側でばらばらに、さらにその中で、不満や憤りが渦を巻いている。
  積極的に壁を壊していく中で、あいつが怠けてるというような不満を無くしていきたい。そして、そもそも労働意欲を削ぎ落としゆがめる職場の、根本的な問題に皆で目を向けていきたい。

働くことの意味

わたしたちの間には、なぜ怠けることが悪いことなのか、何のために働くのか、という問いが絶えず浮かんでいる。
  ゆうメイトががんばってもその見返りは、お金としては返ってこない(今のところ)。だったらなるべくサボって、時間が過ぎるのを待つ。それは合理的だ。
  しかしそれを押し通すのであれば、仲間も無いし、働くことの楽しさも誇りも無い。
  非正規だからそれでいいのだろうか。それは、非正規の状況に腐らせられる中で、つくられた意識だ。

非正規でも、楽しく、誠実に、仲間をつくりながら働く中で、人間として成長したいという気持ちは変わらない。
労働の見返りとして賃金を求めるのではなく、労働の権利として賃金を求めるように
  わたしたちは変わっていく必要があると思う。

散々こき使っておいて10円たりとも上げないのかい、と腹も立つ。けれども、10円、数十円上がればそれが、わたしたちの労働の代価としてふさわしいのだろうか。
  スキルAランク・賃金1150円で頭打ち。ゆうメイトとして最高の評価を会社からされているとしても、規定勤務時間6時間・週30時間では、生活は厳しい。
  一人暮らし、結婚、子づくり・・・、越せないハードルは高くなる一方だ。あと2時間ここで働けたら・・・、という声、ダブルワークしている人もいるが、6時間というのはどうにも中途半端だ。稼ぎたければ深夜勤務へ。本当に社員と同等の働きをしているのに、倍以上の格差。

短い時間であっても、その労働がなければ職場は成り立たない。
  しかも、数年間働き続けている熟練ゆうメイトが支えている、業務能率の水準がある。これは、半年ごとにゆうメイトを入れ替えていたら維持できないものだ。会社はそこに依存している。
  しかし建前上はそれを認めず、半年ごとの契約更新をくり返す。

わたしたちの労働にふさわしい賃金とは、生活を基準に、再生産を基準に要求すべきだ。会社から放り出された後のことも含めて。
  それだけの時間と労力をさいて、わたしたちは会社に「奉仕」しているのだから。つまりは直接・無期の正規雇用という目標がはっきりする。
  これは本来、ごく当たり前のことなんだろうけど、それが「高望み」「夢のまた夢」と思わせられている非正規の日常なのだ。
  そのまやかしや目隠しを取り除くために、その当たり前に自分たちの現実をどう結びつけたらいいのかを考えたくて、長々と書きました。

(小次郎の姉)