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宮古島いなさ便り (05.09)

勤続41年、退職を機に心機一転、沖縄は宮古島に第二の人生を定めた方がいらっしゃいます。「漁師になる!」と。おそるおそる宮古島移住のご報告でもとお願いすると、「連載で書いたるわい」。最初に送って頂いたのが上の写真。「宮古島の来間島から望む与那覇前浜ビーチです。ご堪能あれ」。
  連載題名の「いなさ」とは宮古弁で南東風の意味。編集部で付けさせて頂きました。また楽しみな連載が始まります。(多)
  タイトルの写真をクリックするとオリジナルの息を飲むような写真が(^^;)

何はともあれ、ナメていたのは私です。
  2月に家探しで来た時には、風はそれほどでもなかった。曇天が続き、曇ったり降ったりの毎日だった。農家のおじいは恨めしそうに「今年は雨が多くてキビの出来がよくない」「これではオマンマの食い上げだぁ」と嘆いていた。もちろん「みゃーくふつ」で。

【在宮古ヒロシマーンチュの経歴】
1951年  広島県呉市にて生まれる
70年3月  呉宮原高校を卒業
70年10月 郵政外務職試験受験・合格
71年1月  広島中央局第二集配課非常勤として入局 牛田班所属
71年11月 正職員採用
72年5月  任用期間終了 以降、集配分会職場委員、班長、副分会長、支部青年部長歴任 反合・反マル生・スト権奪還を掲げて職場闘争・ブツダメ・ストライキが全国的に闘われる
85年10月  新広島中央局開局にともない広島東として局分割 以降、全逓広島東支部書記長、支部長歴任。労働戦線の連合化が始まり、反対闘争の先陣を担う
86年8月  ピースサイクルが大阪から広島を走る
88年8月  ピースサイクルが大阪のバトンを受けて広島から長崎を走る
89年11月  臨時支部大会で「反連合方針」決定
89年12月  連合発足、東支部執行権停止、その後全逓除名
90年4月  郵政広島労働組合結成 委員長に選出
90年6月  郵政全労協結成に参加 幹事に選出 以降、副議長、議長、郵中労書記長を歴任
2011年12月 定年まで4ヶ月を残して退職
 従って、前半が全逓改革に、後半が郵政ユニオンに傾注した41年であった。
 今後、沖縄で漁師を目指すべく準備中

みゃーくふつとはそれ何?という人のために解説すると、宮古弁という意味です。宮古口をこちらではみゅーくふつと言います。本土はヤマトゥグチ、本島はウチナーグチ、宮古とは全く違います。
お前に理解できたかって?無論できはしなかった。何故できたかと言うと、隣に散髪順待ちの下地勇さんがいて、翻訳してくれたからだ。どこでそれを取材したのか?だって?もちろん散髪屋だ。しかも、店構えは古びて沖縄戦の生き残りを自称するオジィが主人だ。

耳が遠いオジィは、沖縄戦で砲撃手としてバンパン大砲を打った結果、鼓膜がやられてしまった。だが、散髪の手はいいのでいろいろな人がこの店に来る。
  なぜ家探しの際に散髪か?だって?もちろん、こざっぱりしていた方が不動産屋の印象が良いと思っただけのことだ。と言うより、引っ越し準備に時間を取られ頭がボサボサのまま宮古に来てしまったので、暑さ対策のため散髪しようと思っただけ。なんと料金はオール込みでポッキリ千円なのだった。きょう日どこにある?駅前だってもう八百円プラスしてカットだけだろ。

話が外れてしまったので、元に戻そう。
  家探しはかくもホンワカした状況でうまくいった。定住先をジックリ探すための仮住まいと位置付けたためでもある。それですぐアパマンと契約して、3月上旬に荷入れとなった。
  また外れるが、荷出しは2月28日。なんと9日間もわが家財はコンテナの中で蒸されていたことになる。開けてビッツラ、カビだらけ。その処理に一か月を要するハメとなってしまった。
  言うまい、言うまい。郵政とクサレ縁の日通を頼んだのだ。見積もりを取ったのが4社。その中で破格値の32万と言う日通にフラフラと惹かれてしまった。他社の半値だ。その結果がこれだった。後悔先に立たず、とはけだし名言。

3月6日の夜に宮古に来て驚いた。広島では台風時にしか経験したこともない風音がする。しかも横殴りの雨だ。傘なんて引っ越しの際に捨ててしまっていた。広島を出るときは晴天だったのに、このすさまじい変化は何だ!
甥子さんと仕方なくタクシーに乗って思わず運チャンにグチった。
  「今日の風邪はすごいですねぇ」「運の悪い日にこちらに来ました」と。
  そしたら運チャン、アヘヘヘヘヘと笑って、「お客さん、こんな風、屁ともありませんわ」「宮古は台風銀座って聞いたことありません?」「台風のときは瞬間で100メートルの風が来ますよ」「こんなもんそよ風ですわ」とのたまう。
  思わず聞き返した。「台風の風ってどれくらいすごいんですか?」と。そしたら、「外にいたらフッ飛ばされてはるかかなたですから、誰も外には出ませんよ」だって。

それでアパマンの契約書に書いてあることが理解できた。「ベランダに物を置くな」「台風時には窓のサッシに新聞紙で水止めをせよ」「台風時にはすべてに鍵をかけ外出するな」と注意書きにある。すべて了解。納得しました。甘かった自分を反省するしかない。
  それで思い出したのが、オキナワの家は赤瓦と漆喰でできているものと思いこんでいたが、ここ宮古ではそんな家はどこにもない。不思議に思って調べたら、68年の宮古台風で古い家は吹き飛ばされてしまっていた。それでコンクリート造りの頑丈な家に代わってしまったのだ。
  古い建物を吹き飛ばされて、現実対応を取ることは致し方ないことで、ノスタルジーに浸っていた自分を恥じ入る。
  しかし、古いものは多々残されてもいる。歴史を目にできる遺物も多く残っている。風で吹き飛ばされないものの基本が文化・伝統・風習、何より人そのものだ。

自慢じゃないが、私の広島弁には東京の人たちは手を焼いた。理解不能のようだった。だがここに来たら言葉はフランス語より理解不能だ。広島弁どころじゃない。それで漁師修行が滞っている。まったく分からないことこのうえない。それでも「アララガマ」よと自分を叱咤している。この言葉は翻訳すまい。雰囲気で理解してもらえるだろう。

次回は、みゃーくふつで新天地を開いた地元出身のミュージシアン「下地勇」について話そう。
  ヤマトの店でCDが手に入るかどうかわからないが、私のお勧めだ。ぜひ聞いてみてほしい。
  ではでは、第二話に期待してね。

在宮古ヒロシマーンチュ

と、ここまでは伝送便本体に連載が始まったその最初の第1回目。送って頂いた写真があまりに美しく、是非みなさんにも紹介したくてWebへの掲載に。なにせ伝送便本体の写真は白黒ですのでその美しさが分からない(^^;)。
  実は、伝送便本体用に始まった連載、すでに原稿がどっちゃりと届いています。月刊で掲載していたら何年かかるか(^^;)。それでお願いしてみました。伝送便本体とは別にWebだけでしか読めない連載も掲載していいですか?と、「タンガディータンディー」?調べても分からない(^^;)。たぶん「たんでぃがーたんでぃ」(ありがとう)のことかと(^^;)。(←ネットで調べた)

で、郵便の話はちっとも出てこないけど(^^;)、これがもう私自身がはまってしまって(^^;)、今回Web版「いなさ便り」第1回目も次に一挙掲載。Webだけでしか読むことのできない「Web版いなさ便り」が始まります。郵便の話しはないけど(^^;)。(多田野 Dave)

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