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新人事・給与制度をぶっつぶせ    (06.19)

 2007年10月に発足したJP労組は翌08年1月開催の第一回中央委員会において「頑張った者が報われる制度を」と、新人事制度に能動的に対応していく姿勢を明らかにした。ここで「頑張った者が報われる」ということの含意は、競争は結構ですが採点は公平にやってくださいよ、ということだ。労働者が競争状態に置かれること自体に弊害があるのではないかという問題意識は初めから無かった。

それでいいのか、というのが本稿で問いたいことである。たしかに査定には上司の恣意が大抵は入るから公平には行われ難い。そこで能力主義管理に対するわれわれの批判は、その不公平さにまず向けられるし、恣意的査察が横行している以上その批判は当然かつ必要なことだ。
  けれども査定を通じた会社の狙い、その本丸は労働者を絶えず競争状態に置くことでとことん搾り取ろうとすること。公平な査定がもし本当に可能なら、むしろそのほうが会社の狙いもより貫徹するだろう。が、それはわれわれ働く者にとっていいことかどうか。

働き過ぎに斃(たお)れぬために

去年JP労組が全組合員に配布した「討議資料」には、民間他社では昇給にあたって査定部分がいかに大きいかを示す会社側資料が引用されている。
  それによれば自動昇給と査定昇給のウェイトの世間相場は2008年時点で会社査定分が79%、自動昇給分はわずか21%とのこと。いっぽう郵政の現行は査定13%に対し自動昇給87%。
 この数字を信頼するならば、郵政の賃金では査定部分は世間相場に比べればたしかに低い。郵政も早く世間並にしなければ、という会社の焦りはわからぬでもない。

働き過ぎに斃れてしかし、査定昇給が大半を占める民間企業の労働現場ではいま何が起きているか。たとえば熊沢誠著『働き過ぎに斃れて』(岩波書店 2010年刊)は「成果主義に斃れて」と題を読み替えてもいいほど、競争で疲れ切り、過労死・過労自殺に斃れた労働者たちの夥しい例を紹介している。
  そして他企業に比べれば競争主義がまだ「緩い」郵政の職場での今日の実態はどうであろうか。
  2005年、当時の郵政公社は全国で5万2000人強を対象に、金額にして32億円強の残業代を追加支給した。一労働者の告発が契機となって不払い残業の実態調査が行われたからである(この件については本誌04年1月号および3月号が詳しく報道)。
  この数字でさえ「氷山の一角」とも、今日また不払い残業が増えているとも言われる。
  前にこの連載でも報告したが新東京局では月100時間以上の時間外労働をやった社員が去年12月には二人いた。厚労省の基準としての過労死ラインを超している。新東京局なんてのは稼働人員の絶対数が多いからまだ融通が利くほうなのであって、人員の少ない局ではもっと酷い時間外労働あるいはサービス残業が行われているだろう。
  現状でもこうなのだ。
  本号特集で報告されるだろう事故・労災の多発とこれは無関係であろうか。そしてマスコミでも度々取り上げられる自爆営業の実態。競争がもっとけしかけられるようになったら、どういうことになるのか。

 郵政賃金制度の変遷

反マル生越年闘争のあといくばくもたたぬ1981年、「特別昇給制度」が導入された。過去にストライキ参加などで処分され昇給の遅れた人たちの「実損」を回復するということと抱き合わせで「優秀者」に〃飛び級〃させるという形で査定が入ってくる。ついで人事考課(査定)が強められたのは1997年スタートの「新昇格制度」。
  この「新昇格制度」に対しては、当時、全逓横浜の組合員だった芝久巳さん(小説家・笹山久三氏)が反対のアッピールを全国に発し、これに応えて署名活動が展開されたことは本誌去年一二月号の神田五郎執筆記事が触れている。
  さらに、郵政公社となった2004年、現行の人事制度に。能力主義が入ってきて、基本給のうち13%を査定給が占めるようになったのは先に見たとおり。
  こうした動き以前の郵政の賃金は、当局による査定がほとんど働いていなかった。第一組合である全逓と第二組合の全郵政とで、全逓所属より全郵政所属を優遇するといった組合間差別はあったけれども、一人一人の労働者の仕事ぶりをみて昇給に差をつけるということはなかった。これが「競争より団結」という気風を職場に育み、1978年末には組合間差別に反対したところの反マル生越年闘争を実現させた。
  こうした賃金制度は1946年の「電産型賃金体系」の影響を残したものであったように思う。

 「電産型賃金体系」の功と罪

これは当時の電気産業の労働組合が獲得した賃金体系のこと。
  日本資本主義史上,労働組合の手で作成された唯一の賃金体系であると言われている。この体系がそのあとしばらく多くの産業に拡がった。背景には戦後労働運動の高揚があった。生計費を基準にした生活給の考え方を中核とし、能力給の考え方を加味したもの。だから査定もされるけれど、その部分は低かった。

賃金を労働力の再生産費とし、労働力の買い手である企業にその費用を負担させるとしたことは間違っていないと思う。社員(労働者)が年齢をかさね、結婚し子どもも作れば、その家族を養う費用も労働力の再生産費のうち。だから加齢とともに賃金が上がっていく(定期昇給)のは当然だ。
  同時に、これは「同一労働・同一賃金」という要求(原則)とは矛盾する。同じ労働をしても勤続年数で賃金が違うのだから。ほんらい労働者の要求であった「同一労働・同一賃金」(世界労連のスローガン)が、今日では一定年齢以上の正規労働者の賃金を切り崩すための道具になっている面がある。

労働力の再生産費を当該企業(だけ)に負担させようとした考えには、そんなふうに付け込まれる弱さがあったのではないか。「社員であるかぎり生活は保障されるはずだ」という主張は、やはり企業に労働力を売っているのに「正規の社員」とは見なされない有期雇用や派遣の人たちの存在を視野の外に置くことになったのではないか。
では、どうしたらよいか。
  これからの方向として一つ考えられるのは、生活給思想では賃金に含めていた養育費や教育費、住居費などを社会化(無償化)することでる。そうすれば年功賃金からその部分は削れる。いっぽうで非正規雇用の賃上げを勝ち取り、そうして「同一労働・同一賃金」に近づけていく。逆に言えば、そうしたこと抜きに賃金だけ削らせるわけにはいかない。それでは労働力の再生産が不可能になるから。
  それから、会社による査定は抑えられたといえ、いくらかは入っている。この査定部分が拡大していくにつれ平等主義や生活給思想は崩されていく。査定を通じて労働者は会社につねに「見られて」いる。働きぶりだけでなく会社への忠誠度まで。
  これでは「競争より団結」ではなくて「団結より競争」になってしまう。こうして「電産型賃金体系」は崩れていった。それは日本の労働運動が戦闘性を失っていく過程でもあり、また底なしの競争主義の下、過労死・過労自殺が蔓延する企業社会が出現する途でもあった。

 連載を終えるにあたって

JP労組交渉情報5月10日、JP労組中央本部は「新人事制度」の交渉を「大綱整理」した。これを承認するかどうか、8月に長野で開催される全国大会が勝負の場である。1月号からのこの連載も今回をもって結ぼう。

はじめ「新人事制度」は正規労働者にかけられた攻撃という受け止めが強かった。しかし、見てきたように「新一般職」とは将来世代の極端な賃下げ。その将来世代とはいま非正規に置かれている若者たちだ。現在の正社員は自分たちの「現給保障」や「メリハリ緩和」と引き換えにこれを認めていいのか。
  第11回中央委議案が明らかにした数字では、期間雇用社員におけるJP労組の組合員数は5万5229人。10数万人いるうちでそれだけしか組織していない。
  現在の期間雇用社員を将来の「新一般職」候補とすれば、賃金という最も重要な労働条件に関わる議論から圧倒的多数は排除されているのだ。そして「新一般職」によるカッコつき正社員化が進んだとしても、それよりずっと多くの人たちは先行き不安定かつ低賃金の非正規雇用のまま。
  こんな状況は変えていかなくては。正規・非正規が連帯するときである。

連載で分析してきたとおり情勢は厳しい。しかし、たとえ全国大会で同制度の導入が妥結承認されたとしても、反対運動が職場にあり、それを通じて仲間同士のつながりを作っていれば、同制度の下で浸透するであろう競争主義に抵抗する核にそれがなる。全国大会における論議の帰趨にしても、どう転ぶかはまだわからぬ。
  あらゆる機会をとらえて反対の声を上げ続けよう。〃強制された自発性〃を通じて労働密度を高める方向に私たちを駆り立てていこうとする先にあるのは過労死・過労自殺が日常化する世界。これと闘っていこう。

(土田宏樹)

*伝送便6月号掲載より転載