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さいたま新都心局自死事件、2月5日第1回口頭弁論開催   (02.07)
「さいたま新都心郵便局過労自死事件の責任を追及する会」会報第4号より転載

第1回口頭弁論開かれる

全国から69名の仲間が傍聴、会社は出廷せず!

2月5日、さいたま新都心郵便局過労自死事件の初めての口頭弁論が、さいたま地裁で開かれました。裁判には、全国から69名の仲間が傍聴に駆けつけました。報道陣も多数参加、関心の大きさを感じました。
  原告のKさんと代理人が意見陳述を行い、傍聴した20代の大学生は「小林さんの陳述を聞いて泣いた。」と語っていました。
  原告の言い分には聞く耳を持たないということか、会社は欠席。でも、新都心局の管理者や支社の人間が4人も傍聴者をチェックに来ていました。傍聴者からは「傍聴席ではなく、被告席に座れ」「恥知らず」という罵声が飛びました。

第2回口頭弁論
3月26日14時 さいたま地裁101号法廷

―代理人の意見陳述(要旨)―

男性は、なぜ自ら死を選ばなければならなかったのでしょうか。
  23年間にわたって慣れ親しんでいた岩槻郵便局から、大規模局で首都圏の模範となる新都心局への異動は、男性の心身の健康に多大な影響を与えるものでした。
  「自爆営業」という言葉は、この言葉そのものが、たいへん衝撃的です。亡くなった男性を含め、全国の郵便局員が年賀状やゆうパックの過大な販売ノルマを課せられています。ノルマを達成するために、自ら買い取る行為をさげすんでこう呼ぶのです。

新都心局では、作業効率アップのためとして、郵便物の並べ替え作業を立って行うこととされました。従来の、また全国の多くの局で現在も行われている、座った状態での作業に比べれば、足腰への負担が圧倒的に大きくなります。
  朝8時に出勤して、10時までの間に配達を終える、「翌朝10時郵便」というサービスは、納期に迫られるプレッシャーもありました。

新都心局の就労環境の異常さは、局全体でパワハラを生み出していたということからも明らかです。その 一例が、「お立ち台」での見せしめです。
  交通事故やミスを起こした職員が管理職に呼び出され、朝のミーティングの際、数百名の全職員の前で立たされ、反省の弁を述べさせられるのです。「お立ち台」に立たされた者はもちろん、周囲でその様子を見ている者にも、次は自分かも知れない、という恐怖感にも似た苦痛を与えます。

使用者は、労働者を管理するに当たって、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積し、労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負います。ところが、本件で被告は、新都心局における異常と言える就労環境を放置し、むしろ模範局として同局の様々な施策を促進してきました。
  その新都心局へ、全く環境の異なる岩槻郵便局から、50歳を超えて初めて、亡くなった男性を異動させたのです。
  男性は、精神障害を発症して休業と復職を繰り返し、毎年新都心局からの異動を希望していました。しかし、被告がこれに応じることはありませんでした。

本件は、男性の遺族である原告らが、被告の安全配慮義務違反ないし不法行為責任を問うものであり、同時にそれは、新都心局で何が起こっていたのかを明らかにし、郵便局という職場で二度と同様の事態を繰り返さないための裁判です。
  裁判所におかれては、亡くなった男性を含む郵便局員が、いかなる環境の下で働いてきたかをつぶさに検証し、被告の責任を断じるよう求めるものです。


原告Kさんの意見陳述

私の夫は、平成22年12月8日現在の日本郵便株式会社さいたま新都心郵便局の4階から飛び降り亡くなりました。51歳でした。
  郵便屋さんと呼ばれる夫は20年以上岩槻郵便局で働いていましたが、平成18年5月にさいたま新都心郵便局へ異動になりました。辞令の出たそのとき夫が「辞めるかもしれない。新都心だよ、一番行きたくないところだよ」と私の携帯に電話をしてきたのを覚えています。
  それでも、地図を購入し、早く道を覚えようとする姿も見ました。なんとか慣れようと努力していました。しかし、46歳という年齢で大規模な局ノルマや時間の管理、人間関係の希薄さなど余りにも前の職場との違いに疲れ切っていたようでした。
  本来明るく健康な夫が4年の間に3回も病気休暇を取る状況になってしまいました。「とにかくきつい。上からミスるな、事故るな、残業するなと言われ毎日頭の禿げる思いだ」と言っていました。
  自分の能力に合った所に転勤したいと夫は毎年職場に出す意向調査で転勤を希望していました。直接上司にも何回も転勤させて欲しいと訴えていました。結局希望は通らず、新都心で亡くなりました。

亡くなる当日の朝、私は駅まで送っていき、駅の階段をお互いに見えなくなるまで手を振っていたのですが、それが私の最後に見た夫の生きている姿になってしまいました。
  それからは、自分を責める毎日でした。つらいのを分かっていたのに助けてあげなかった。辞めさせればよかった。私が夫の身代わりになれば良かったとも思いました。
  そんな中、仕事が原因で亡くなったのではないか、新都心に転勤しなければ病気にならなかったのではないかという思いもあり、相談することとなりました。

当時小4の娘が「後悔している」と言っていました。何故か聞くと12月8日の朝、夫と他愛のない会話をしたそうですが、その時に「仕事に行ったら、高い所に気を付けてねと言えばよかった。そうすればお父さんは落ちて死ななかったのではないか」というものでした。子供が自責の念を持っている事に申し訳なく思いました。
  お父さん何で落ちちゃったのかな。誰かがお父さんの事押したのかなと言っていました。その時は違うよと答えましたが、その通りではないかとも思えました。何故ならば、夫は何度も上司達に助けを求めていました。自分の能力では新都心で働き続けるのは無理、早く転勤させて欲しい。うつ病という病気になったのが新都心への転勤が原因であるのに、同じ環境に戻されてしまいます。

私からしてみれば夫を窓際めいいっぱい追いつめて落とされたと思っています。
  夫が亡くなった後、新都心で働いている方と話す機会がありました。人がひとり自死という形で亡くなっているので、職場も少し変化があったのではないかと思いたかったです。しかし、思わぬ返事が返ってきました。
  「誰か(職場環境が)良くなったと言っていたか?良くなるどころか反対に酷くなっている」というものでした。
  とても悲しくなりました。大切な家族、中心的な存在であった夫が死んだのに新都心郵便局は何とも思っていなかったということでした。

H13年、夫が亡くなる9年前にも同じように窓から飛び降り亡くなった方がいると聞きました。
  本来であれば一度そのようなことが起きたのであれば、再発防止など講じるのではないでしょうか。その方の遺族が何も訴えなかった事をいいことに何もしなかったのではないでしょうか。
  神戸の郵便局でも先日パワハラが原因で自死をした遺族が神戸地裁に提訴したという記事を読みました。同じ様な事がほかでも起きています。

夫が急に亡くなり、現実を受け入れられないまま、ひとりで小学生の子供3人を育てなくてはならず、仕事に行く電車の中でもボロボロ涙を流しながら通勤しました。精神的にもきつく、夜になると言いようのない不安感、恐怖感があり激しい動悸や過呼吸になることもありました。あまりの苦しさに救急車を呼んでしまおうと思ったこともありました。何とか呼吸を整えて落ち着いた後も、辛い悲しい苦しいという思いが続きました。静かな夜が怖くつい最近まで、音楽を聴きながらではないと眠れませんでした。

私が裁判を決めた理由として、子供たちにお父さんは悪くない。そして、働くことは大切なことと伝えたいためです。
  薬を飲みながら働き、そして亡くなりました。このままでは働くということがばかばかしくなってしまうのではないかと心配しました。
  また、私のように悲しむ人を一人でもなくしたいと思いました。
  そして、今現在働いている人、これから社会に出ていく人が、病気にならない、病気にさせない職場環境に近づいてほしいという願いがあります。
  健康で働くという事、ただいまと家族が帰って来ることが当たり前になってほしいと願います。

(「さいたま新都心郵便局過労自死事件の責任を追及する会」会報第4号より転載)