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日本郵便本社・関東支社は命の重さを知れ!    (02.12)
さいたま新都心郵便局過労自死事件の責任を追及する会会報「うなぐ」9号より転載

さいたま新都心郵便局に配転され「抑うつ状態」を発症し3度の病休と復帰を繰り返した末にKさんは2010年12月8日職場で亡くなりました。残されたのはおつれあいと当時小学校4年、5年、6年のお子さんです。絶望からはい上がり、ご遺族全員で原告となって2013年12月5日さいたま地方裁判所に日本郵便を相手として提訴しました。
  2度とKさんは戻らない。取り返しはつきません。しかし、当事者と日本郵便幹部に自らの責任をわからせなければならない、謝罪させなければなりません。働く者の死をもってしても改めることのない会社のゆがみを裁判と職場内外の世論の力で正さなければなりません。
  いよいよ証人調べがはじまります。

■当事者証人が認められました

原告側として、直接の責任があると見てきた二人の者が証人として認められました。2010年7月まで支店長であり現日本郵便輸送関東支社のMと2010年4月から第一集配営業課長であり現古河局長のSです。
  Mについては被告日本郵便として「証人として必要ない」との意見書をわざわざ提出しましたがさいたま地裁はそれをしりぞけました。また裁判所は、Kさんの直属の上司であり被告側からも証人申請されていた第二集配営業課長ではなく第一集配営業課長であったSを証人としました。
  原告側の出した書証にも記載された多数の証言=新都心局の現社員のみなさん、関東支社管内の現・元社員、役職者、管理者のみなさんの協力のたま物です。

■日本郵便は罪を認めていません

Sが古河局において昨年「おれは一人殺したことがある」と社員を脅したとの電話通報がありました。しかし彼の陳述書にはそのことの一言もありません。隠せると思っているようです。
  本裁判のための証拠保全をさいたま地裁が新都心局に行った2013年4月の翌月には悪名高い「お立ち台」が廃止されました。2014年には日本郵政の西室社長が定例記者会見で「過去にお立ち台があった。つるしあげのようなそのようなものはあってはならない」と発言しました。しかし本裁判での被告主張ではいまだにつるしあげではなかった、必要であった、と言っているのです。

■圧倒的な傍聴で応援をお願いします!

証人調べ日程  

<1回目>
2月17日(水) 13:10~ 16:50
 (1) 業務企画室長主尋問25分
 (2) 第一集配営業課長主尋問25分
 (3) 班長主尋問25分

<2回目>
3月2日(水) 13:10~ 16:35頃
 (4) 支店長主尋問25分
 (5) 他班班長反対尋問30分
 (6) 原告本人反対尋問30分

* 役職は全て当時のもの

○ 抽選になりますので、12:30までにはさいたま地方裁判所までお願いします。
  〇裁判所近くの会場を確保します。傍聴抽選ではずれた方はそちらで待機をお願いします。終了後のまとめの会を原告・弁護団と共にその場で開催します。

昨年暮れに遺族側の完全勝利で解決したワタミ過労自死裁判ですが、証人調べの際にはワタミ側が社員を動員し傍聴席を占拠するという蛮行をはたらき、そのことが一層の社会的非難をまきおこし、完全謝罪の結果となりました。
  日本郵便がどのような姿勢で出るかはわかりませんが、当会としてはなにより原告に対し、そして当時の他班の班長であり現職社員の仲間が証人として勇気をもって起ちあがったことにみなさんの傍聴応援をいただきたく、切にお願いする次第です。


Kさんのお連れ合いさんの訴え

私の夫は、平成22年12月に職場である当時の郵便事業会社さいたま新都心支店の4階から自分から落ちました。51歳でした。
  郵便屋さんといわれる夫は20年以上岩槻郵便局で働いていましたが、平成18年5月、さいたま新都心へ異動になりました。その時夫が「やばい、辞めるかもしれない」「新都心だよ。一番行きたくないところだよ」と言っていたのを今でも覚えています。それでも地図を購入して早く道を覚えようとする姿も見ました。なんとか慣れようと努力をしていました。
  しかし46歳という年齢で大規模局、ノルマや時間管理、人間関係の希薄などあまりにも前の職場との違いに疲れきってしまったようでした。

 本来明るく健康な夫が、4年の間に3回も病気休暇を取る状況になってしまいました。
  「とにかくきつい。上から『ミスるな!事故るな!残業するな!』と言われて毎日頭のはげる思いだ。」と言っていました。
  自分の能力に合ったところに転勤したいと毎年意向調査で転勤を希望していました。結局希望はとおらず、最終的にはさいたま新都心で亡くなりました。

亡くなる当日の朝、私は駅まで車で送って行き、駅の階段をお互いに見えなくなるまで手を振っていたのですが、それが私の最後に見た夫の生きている姿になってしまいました。
  それからは自分を責める毎日でした。辛いのをわかっていたのに助けてあげられなかった。「辞めていいよ、私が頑張って働くから大丈夫だよ。」と言ってあげれば夫は死なずに済んだのではないか、みんなに優しく親切だった夫の代わりに私が死ねばよかったとも思いました。

そんな中、仕事が原因で夫は死んだのではないか、さいたま新都心に行かなければ病気にならなかったのではないかとの思いもあり、助けを求めるような気持ちで郵政労働者ユニオン(現:郵政産業労働者ユニオン)へメールをしました。夫の死後4ヵ月後のことでした。それから途中何度も立ち止まることがありましたが、応援してくださる方々のおかげで「さいたま新都心郵便局過労自死事件の責任を追及する会」を立ち上げてくださいました。とても嬉しく思いました。
  このことは私たち家族だけでなく、今現在働いている皆さまたちが健康で働ける職場環境に近づけることができるのではないかと思います。

二度と私のようなつらく悲しい思いをする人を出してほしくない。あたりまえのように毎日元気に「ただいま」と家族が帰ってこれるような世の中であってほしいと願います。
  そしていつか、子どもたちに「まじめに一生懸命働くことはいいことだ」と言える日が来ればいいなと思っています。